3.ハヤブサ

人の輪が向いてる人と向いてない人の話。
ウィッチのお店は学生街の端っこにある雑貨屋っぽいかんじ。

◆シェアルの双方への気持ち
アルル:片想い。カレーをもっと食わせたい
シェゾ:いろいろあって最近気になってきてしまってるので過剰に子供扱いしている

 

 

 

キィー——と、鳥の声が響いて、シェゾ・ウィグィィははためくマントと揺れる髪をそのままに、なんとなしに上空を見上げた。
大きな鳥が1羽、すべるように、空をゆったりと割くように飛んでいく。
翼の先が尖っている。あれはハヤブサだな、となんとなく同定し、ついでにハヤブサの生態を適当に思い出しながら街への道を進めた。

実験に使いたい素材が尽きてきたので、馴染みの見習い魔女の店に訪れた。
シェゾ・ウィグイィは外法の象徴たる闇の魔導師ではあるが、だからといって欲しいものは奪い取る、なんてことはたまにしかしない。たまにしか。ちょっとしたものならば、金で片付ける方が楽だ。
よくそれで人体を維持するための食費という存在を忘れてしまい、まあまあの頻度で「獲物」の少女の差し入れを受け取るはめになるのだが。食事で動力を得るという行為は、身体のほうは馴染んでいても頭のほうがいまいちついていっていない。

いつものように扉をあけて、怯んだ。
狭い店の中が雛でいっぱいだったのだ。魔導師の雛が。見慣れた魔導学校の制服五人組の子供達で、容姿からすればアルルと同年代であろうとは思われたが「彼女」よりも幼い印象が強い。日頃ガキだなんだと彼女を揶揄するシェゾであったが、店内の子供達は彼女よりも受ける印象が幼い。幼稚だとかそういう意味ではない。むしろ言動ならば「彼女」よりも大人びているともとれるのだが、「子供だ」と男は思った。

「ねえこっちの薬どうする?」「念の為に5本くらいあればいいんじゃないかな」「魔女さん、なんでロープが置いてあるんですか? どんな魔法がかかってるんですか? え? ただのロープ?」「あの、冒険の方法がまとまってる教科書って売ってないですか」

(ピヨピヨうっせーなー、出直すか?)
買うつもりのない薬棚の陳列を吟味するふりをしながら、聞くともなしに彼らの会話を耳で拾う。会話を拾いあつめると、学校の課題としてダンジョン探索とそのレポートをする、そのために組んだ友人チームのようだった。魔導学校の学生にはもちろんダンジョンでの実地試験もある。だがそれは年に数回のイベントで、基本的には座学である。生徒だけ、つまり仲の良い友人たちでの旅行という要素もあり、一大イベントなのである。在学していたこともあるシェゾは、ダンジョン実習前後の浮ついた空気に覚えがないこともない。友人たちとの日程調整は、ダンジョン周辺にある街の観光ルートづくりのほうに力が入ったりもしたものだ。
(アイツも誰かと組んでんだろな)
アルルのことだ、にこにこしながら友人たちと調査計画を立てているはずだ。あれで「冒険」の場数は学生にしては踏んでいるほうだから、案外リーダーぶった顔で仕切っているかもしれない。それとも詰めの甘さや適当さをつっこまれているか。
売り場の雛たちを横目で見る。男女混成チームである。魔導力に性別による差異などないので当然だ。
(アイツも男のいるチームと)
その先は無理やり思考を断ち切った。よくない方向だ。魔導師なので「考えない」と決めたことを考えずにいることくらいできる。
意識をそらすためにも、雛たちの会話に耳をそばだてる。そばだてる、が。

「寝具? って、これでよくない? ダンジョンの中って雨降ったりはしないんだから」
「そっか頭いいなー。確かに。じゃあこの薄手のほうで。軽いし。荷物は軽くしろって先生も言ってた」
「救急キットってこんなにかさばるんだなー。これもヒーリングあればいらないんじゃないかな」
「火打ち石もいらないよなー。俺らファイヤー使えるし」
「かわりに魔導酒は持てるだけ持っていくほうがいいよね!」
「賛成ー」

「……おい」
雛鳥たち、もとい、魔導学校の生徒たちは低い呼びかけにびくりと身をすくめた。
彼らが振り向くと、そこには人外めいた美貌の青年が宝石のような青い目を恐ろしく座らせてこちらを睨みつけていた。美形の不機嫌は魔物の威嚇に勝る。雛どころか卵(魔導師の)である彼らは肩をすくめて「ヒッ」と後ずさった。ちょっと飛び上がったのもいた。
「さっきから聞いてりゃお前ら、課題用とはいえダンジョン舐めてんな? いや、ダンジョンを舐めてるというよりは魔法が使える自分達に思い上がってるってところか。いいか、探索において魔法の出番はごくわずかだ。そうではなく移動とその間にいかにコンディションを保つか、そして魔法を使うべきときに万全で放てるようにするか、それこそが重要だ。だというのにだな」
「お、お兄さん、誰」
「講師がどう伝えたかわからんがよく聞け、お前らがこういった実習課題で学習すべきこととして設定されている要素についてだ」
「お兄さん誰!?!?」
「かっこいい人だけど急に何!? ウィッチさん、この人なに!?」
「まあ、おほほほ、いいじゃありませんの、このかたの講義は貴重でしてよ。お聞きになっては?」
「まず魔導師における遺跡探索の意義とは」
「あっなんか開始してる!?」

それからそれなりの時間が経過した。どのくらいかというと「煮込むとおいしいカレー」がほどよく煮えるくらいの時間だ。
煮込みカレーはできあがらなかったが、すっかりシェゾの素直な生徒と化した雛たちはできあがった。
生徒たちももともとそれなりの試験を受けて入学している、素質ある子供たちである。突然現れたお兄さんの話を聞くにつれ、どうやら学校の講師とは違ってダンジョン探索経験が豊富で、しかも魔導師としての実力も高いらしいと理解した。あとは目の前の実力者から貪欲に知識を吸収するモードに入った。

「先生ありがとうございました、勉強になりました!」
「先生、お会いできてよかったです」
「実習から戻ったらまたいろいろご相談させてくださいね先生」
「先生、また……!」

そうしてすっかり「お兄さん」から「先生」呼びにシフトした彼らは、講義にすっかり薫陶を受け、合理的で実用的な装備一式を買い付けて店を出ていった。

「やれやれ」
うんざり、といった表情にどこか満足げな気配も漂わせながら闇の魔導師は大きく息を吐いた。店内の密度がぐっと減った。
「おつかれさまでした、センセイ?」
からかいまじりに店主が声をかけてくる。この店主は「講義」を嬉しそうに見ていた。
「あんまりだったから説教しちまった」
「運がよかったですわね、あの方達。最初のダンジョンが手ひどい失敗になるとその後に響くこともありますものね。探索がトラウマになったり変にねじくれたり」
「お前だってあの危うさわかってたくせになにも言わなかったよな」
「私が言ってもあんなふうには聞いてくれなかったはずですわよ」
それにわざわざ教えてあげるのは店員の仕事ではありませんし、とは口にしない。
かわりに、カウンターの下から封書を一通取り出した。
「やっぱりあなた、学校的なところに向いてるんじゃありません? こちら。またまた預かっておりますわ」
封筒はひとめ見てわかるほどの品のよい、雪の夜のように淡い白の紙だった。封蝋印は繊細で、宛名も美しい筆跡である。シェゾはまた、だが今度は軽くため息をついた。
「またきてたか」
「もう一度くらいは応じて差し上げては」
「いや……俺はもう……」
ウィッチに差し出された封書をそれでも受け取りかけていたその瞬間、ばたん! と元気に扉が開いた。
「ウィッチー! お買い物にきたよー!」
「ぐっぐ〜!」
アルル・ナジャとカーバンクルだ。店内が、ぱっと明るくなったのは扉から光が入ってくるからだけではない。彼女はそういう少女だ。
そのアルルは扉を開けて、ウィッチとシェゾ、そしてその二人のあいだの封書に目をとめた。そしてきゅっと眉を寄せる。
「それ……ラブレター?」
「ぐ〜?」
「違う」
「ある意味そうですわね」
「おいウィッチ」
「えー! シェゾあてのラブレター! え、え、誰? 誰から? どんな人から? ウィッチから、……じゃないよね?」
おずおずと向けられたアルルの視線を受けて、ウィッチはシェゾにさらに視線をむける。言ってもいいかと訊ねている。ので、シェゾは自分で言った。
「そいつの差出人は爺さん手前のおっさんだ」
「爺さん手前のおっさんからのラブレター!」
「違う! ……魔導師で、研究者だよ。研究都市のお偉いさんだ」
さすがに「研究都市のお偉いさんからのラブレターだ!?」とは言わないアルルである。
「どうしてそんな人からシェゾにお手紙? ……闇の魔導師を討伐するー、みたいな話……? ん? あれ。宛名が違うよ、シェゾ」
シェゾが持っている手紙の文字を読むためにか、アルルがぐっと近づく。シェゾは少し引きぎみになりながら「これで合ってる」と返す。
「偽名でやりとりしてるからな。こっちの名前で俺宛で、合ってる」
「???」

シェゾはもともと、古代魔導の研究をしている。研究のかたわら、気が向いたときには論文を名のある研究機関に送付もしていた。もちろん送付する論文はいわゆる闇の魔導に関わらないものに限っている。自論が他の研究者に触れればなんらかの発見に繋がるかもしれないと考えてのことだ。送付にあたっては当然別の名前と身分、肩書きを使っている。その捏造はウィッチ(というかウィッチ一族)へ依頼している。
というようなことをアルルに説明した。
「この店をやりとりの私書箱にしている。返礼として稀に希少だったり最新だったりする魔導書を送られてきたりもするしな」
「へ〜〜。じゃあ、そのお手紙は?」
「これは、まあ、別にどうでもいいやつだ」
「ラブレター?」
「そうとも言えますわねえ」
「おいこらウィッチ」

君が提出した論文に関わる大きめの実験をするからぜひ来てほしい、と、旅費も添えた手紙が届いたのが数ヶ月前である。内容は確かに高価な設備や資材、実力ある魔導師が数十人いないとできないような実験で、シェゾ一人ではとうていできないものだった。
迷ったが、赴いた。一応髪色を変える程度の変装はした。銀色さえ印象づかなければ大丈夫だろうと考えたのだ。

「俺が甘かった。もっと気合い入れて変装すべきだった。幻術を使っておっさんにでも化けていくべきだった……いや、あんな研究都市じゃむしろ幻術がばれる可能性が高いしその方がやばいからどのみち髪色を変えるくらいしかできなかったか」
「どうなったの……? 闇の魔導師、ってばれた、ってわけじゃないんだよね? なにか、嫌な目に遭ったの?」
いたわるまなざしのアルルに、シェゾは端的に回答した。
「受け入れられすぎた」
「すぎた?」

受け入れられすぎたのだった。研究者たちは想定よりもずっと若く聡明な青年を大歓迎した。ごく限られた上位権限にだけ閲覧を許される各所の許可証発行、議論、実験、実験、議論、討論、宴会、実験、討論。
目的の実験は準備期間から携わったからそれなりの期間ではあったが、それが終わってもさらになんだかんだと引き留めがすごかった。娘に引き合わせようとする研究者も片手では足りなかった。
なんとかどうにか振り切ってきたものの、こうして定期的に呼び出しの手紙が来るようになったというわけである。

「……そんなに留守にしてた期間あったっけ」
「転移で数日おきにこっちに戻ってたからわからんかっただろうな」
「なんで?」
「もちろん、お前を手にいれるためだ」
「ボクのま・りょ・く! でしょ!」
「そうだ」
即答するんだもんなあ、と、口のなかでもごもご言っているアルルの頭を、カーバンクルのちいさな手がよしよし、と撫でている。

「もう一回くらい行ってもいいんじゃありませんの?」
ウィッチが呼びかける。指先に作った小さな風の刃で封を切り、文面に目を走らせたままのシェゾは答える。
「いや、もう行かない」
「いつもわたくしあてのお手紙も一緒に来てるんですのよ。そこに書いてありましたわ。あなた、ずいぶん楽しく過ごしてたみたいじゃないですか」

シェゾは苦いものを口にしたように目を細めた。
ウィッチの手紙に何が書いてあるかは知らないが、自分あての手紙の文面からも想像がつく。
そう、確かに、研究都市の日々は楽しかったのだ。認めたくないが。研究者たちが喜んで自分へ知識を分け与え、研鑽を共にしようとしてきたのは、こちらが彼らとのやりとりを楽しんでいたからだ。何度もこうして招致してくるのは、こちらがそう感じていたという確信があるからだ。
目的を近しくする人々と知恵を出し合って、解決に、展開に進んでいると確信を得られるやりとりを進めること。展望を語り合うこと。共同研究には一人ではできないことが多すぎるのだと知ってはいたが、実体験として理解してしまった日々だった。
だからこそ、もう二度とあの場所に近づいてはいけないと感じている。

「……闇の魔導師が、まっとうな研究者と馴れ合ってたまるか」
露悪的に言い捨てれば、ウィッチは「やっかいな人ですわね」とため息をついた。
懐に手紙をしまいこんでふと目をやると、アルル・ナジャがむくれている。
ぷう、と頬をふくらませているので、シェゾはその頬を指先でつついた。
「なんだその顔は」
「シェゾって、ボクとそのまわりの人と会ってるとき以外は、誰とも話さない引きこもりのオタクだと思ってたのに」
アルルの肩の上のカーバンクルも頬をふくらませていたので、そちらもついでにつついた。
「アルルさん、この研究者の人たちもオタクといえばオタクですわ。オタクは友達を作りにくいけれど、オタクどうしはお友達になりやすいのですわ」
「そうか、オタク友達かぁ……」
「お前らたいがいにしろよ。おいアルル、なんでそれで拗ねるんだ」
だって、と、アルルはまだふくれている。かと思えば、しゅんとしてしまった。
「ボクの知らないキミがまだいて、もちろんボクらが会うまえのことならそういうの、あって当たり前だけど。今のことなのに、ボクぜんぜん気づかなかったから……」
責めるような甘えるような口調に、う、とシェゾは後ろめたさを覚えた。覚える必要なんてひとつもないのに。
(まるで浮気を咎められているようだな? いや浮気って俺とコイツの関係でありえんだろそんな)
後ろめたさの正体がわかるようでわかりたくなくて、だからシェゾは思いつくままに適当なことを口にする。
「あ、……あー、お前だって俺の知らない関係のやつらとかいるだろ? ほら、学校のやつらとか。ダンジョンでの課外活動があるんだろ? 仲のいいやつらと組んで探索に行くんじゃないか」
(待て待て待て、何言ってんだ俺?)
こんな話題で返したら、自分も独占欲を発露しているかのようだ。自分も? そうではない、アルルはそんな意図で言ったわけがないし、自分だってそうだ。なんだこれは。
人知れず胸中で大混乱を起こしているシェゾだったが、アルルはきょとんとした。
「課外活動、確かに課題出たけど。どうしてシェゾが知ってるの?」
「さっきまで準備の買い出しに来ていた方々がいらしたのですわ〜〜」
ウィッチに生徒たちの特徴をいくつか挙げられ、ああ、あのコたちかあ、とアルルの照合も済んだらしかった。やはり近しい生徒だったようだ。

「で、シェゾ先生によるダンジョン初心者講座が開催されていたんですのよ!」
「えっなにそれ!」
「魔導師にとっての探索とは〜〜とか、野営の心得〜〜とか。わたくしも興味深く聞かせていただきましたわ〜〜」
「ずるい! なにそれずるーーーーい!」
「ぐっぐ〜〜〜!」
アルルにマントをつかんでがくがく揺さぶられ、シェゾは「あああああ」と平坦な声を出す。カーバンクルが真似して「ぐぐぐぐ〜〜」とユニゾンした。
「アルルさんがあらためて聞くような話じゃありませんでしたわよ、本当にごく初歩的な心得でしたから」
「うー……でも、いいなあ……ボクもシェゾに教えてほしかったな……」
うらめしげにこちらをチラチラと上目遣いで伺ってくるアルルに、また謎の罪悪感が湧いてくる。
「学生なんだから学校のセンセーに訊け。というか課外活動の準備に来たんだろ? 他のやつらとは一緒じゃなくていいのか」
再びアルルは大きな金色の瞳を瞬かせた。
「ダンジョンのレポート提出のやつ? もう行ってきたよ。で、使っちゃって足りなくなったもの買いにきたの」
「……そうなのか。楽しかったか」
「ん〜〜いつもどおりってかんじ! 課題になったダンジョンリストの中で、一人で行けそうだったやつはあんまり手応えなくってねー。ダンジョンは筆記試験よりは楽しいけどさあ」
「あ? 一人で?」
「え? うん」
シェゾはまじまじとアルルを見る。健康優良、元気いっぱい、ほがらかなひまわりのような少女を。そして憐れみの目を向ける。
「お前……学校にトモダチいないのか……?」
「いるよ!?!? めっちゃいるよ! お昼ごはんの時間なんてボクもってもてなんだから!」
「じゃあなんで一人で行くんだよ、学生の課外活動は基本的にチームでの行動前提だろ」
遠い、遠い記憶だが、友人たちとの行程は楽しかったのだ。
「詳しいね? 確かにそうだし、ボクも何人かに声かけてもらったりはしたけど」
でも、とアルルは言葉を続ける。
「だって、一人で行けるから」
その様子があまりにもフラットだった。虚勢も驕りもなく、ただただ、そう思っているからそう言った、それだけだった。
それを聞いたシェゾは思う。

(勝てねえな)

すとんとそう思った。魔導力とか、そういう部分ではなく。勝てない、と感じてしまったし、それを完全に認めた。
接するものがみんな好意を抱いてしまう、晴れた青空を照らす太陽のような少女。誰にでも優しく、思いやりがあり、いたわる少女。
けれど彼女は、いや、だからこそか。「一人」でいることになんの理由も疑問も理屈もいらないのだ。
自分と違って。

(コイツは群れない鳥だ。猛禽類だ。鷹か鷲か、ハヤブサか)

うっかり「講義」してしまった雛たちとの違いはそこなのだろう。同じヒヨッコでも、ハヤブサの雛。
「レポートもできたから、もうちょっと骨のあるダンジョン行くつもりなんだ」
ひらひらとレポートらしい束を見せてきたので、「ほー」と奪い取る。
「あ、返してよう」
「どれ、添削してやる」
シェゾが手を挙げるように、掲げるようにして読めば、アルルがぴょんぴょんとジャンプしても届かない。
「よかったですわねアルルさん、シェゾさんてば今教えたがりモードですから」
「か〜え〜し〜て〜〜」
からかうためにとりあげたレポートだが、読み進めるシェゾの表情はどんどん渋くなった。というかあっというまに読み終わってしまった。
「おいアルル、っておい!」
一度目の「おい」はレポートの出来に関するもので、二度目はシェゾによじ登りながらレポートを取り戻そうとしているアルルに気づいたからである。よじ登る、といっても、子猫や子供ならそういうこともできるだろうが、それなりに成長しているアルルなわけで、むしろ抱きつくとか押し倒そうとしているとかそういう状態に近くなってしまっている。背伸びしているので顔も近い。
「あのな! お前な! なんだこりゃ!」
言いながらバックステップで距離をとる。
「『課題の遺跡にいきました。全部で地下5階、罠は多めでした』……作文か!? これはレポートじゃない、絵日記だ!」
一応取得した発掘物のリストなどもついているが、あまりにもひどい。こんなレポートで点数とれるのか? と心配になってしまうシェゾだったが、先ほどのヒヨッコたちが「はじめてのダンジョン課外実習」と話していたのを思い出した。学校に攻略レポートを提出するのはアルルも今回が初めてなのかもしれない。
一応ダンジョン踏破の達成要件と提出用アイテムは揃えているようだから落第にはならないだろうが、これは。
「立派な魔導師になるとかおとーさんみたいな冒険家になるとか言っといて、なんだこれマジで」
「うーー。書いてるじゃんちゃんと。ダンジョン回ってる間は楽しかったーって感じで、細かいとこ思い出せないんだもん。行ったのは確かなんだし、いいんじゃない?」
「いいわけあるか。まともな報告書が作れないと魔導師にも冒険家にもなれんぞ。とくに冒険家ってのはだな、適切な記録を残し、評価を受けてこそだ。そうでなければただの盗掘者あるいは遺跡散歩を趣味とする異常者だ。つまりおまえは異常者」
「にゃんだと。キミには言われたくないぞ」
「誰がヘンタイだ!」
「言ってないんだよな〜〜」
帳面を整理していたウィッチがのんびりと口を挟んでくる。
「ではどのように報告書を作れば良いか、シェゾさんに教えていただいては?」
ぱっ、とアルルの顔が花やいだ。シェゾは逆に、げっ、という顔をした。
「教えて!」
「攻略しながら記録をとるんだよ、で、帰還後に清書する。そこから始めろ」
それでも教える闇の魔導師である。
「うえ〜〜。……シェゾも一人で探索するときは記録とりながら進んでるの?」
「いや俺はあとから全部思い出せるからほぼ書かない」
「ずるい! ずるーーい! あ、そういえば前に一緒にダンジョン行ったときも休憩中は何か書いてたね? あれってそういうやつだった?」
「他のなんだと思ってたんだ」
「ポエムとか…… あっ、帰らないで! 帰らないで!!」
背を向けたシェゾのマントを両手で掴んでふんばるアルルは、あ、と道具袋から紙を一枚取り出した。
「ねえねえ! 今回の課題用ダンジョンリストで、ボクひとりだと攻略難しそうで見送ったやつあったんだ、いっしょに行こ! で、記録のやりかた教えて! ねっ」
「ヒヨッコの課題用ダンジョンなんぞにたいしたもんねーだろ」
「んふふ〜。そうとも限らないんだな。これね、深層が未調査のやつもあるんだ。もちろん課題の条件は指定された低層階の到達まで。低層の再調査も兼ねてるから長い間誰も入ってないっぽいやつもあるよ」
「……ほう?」
「これとかどう? 玄室の封印が暦に関連してる可能性があるってやつなんだけど」
「ほう? ……ほ〜〜〜〜……」
ウィッチが未整理の伝票を整頓しおわる頃には、シェゾとアルルはすっかり行き先を定めてその探索のための装備品、所持品リストの選定も終えていた。

「じゃ、いってきま〜す、ウィッチ!」
「お気をつけてくださいまし〜」

冒険♪ 探検♪ と、即興の歌を歌いながらアルル・ナジャは嬉しげに数歩前を歩いている。ぐっぐ、ぐっぐ♪ というカーバンクルの合いの手も入る。
一度アルルの下宿先で荷物を整頓して、それからそのまま行こうということになった。
「や〜〜、先にウィッチのお店寄っててよかった! シェゾ拾えたし」
「人を拾得アイテム呼ばわりするな」
「えへへ、うれしいな〜。実は一番気になってたダンジョンだったから〜」
「……ガッコーのやつらとなら行けたんじゃないか?」
「え?」
「あ?」
思ってもいなかったことを言われた、という顔のアルルに、なぜかシェゾのほうが少し焦った。
アルルは言われたことの意味を思案しはじめた。
「あれ、うん、そうだね…‥? ……なんでだろ? 一人で行けるダンジョンじゃないから今回はやめよう、ってリスト見たときに思って、それで……」
「あーー。 わざわざお前ん家まで同行するんだから茶くらいは出せよな」
「え、あ、うん」
「茶だぞ。カレー汁とか出すなよ」
「なにカレー汁って!? カレースープ? あっそれならいいかも?」
「茶を出せ」

アルルの思索を雑に逸らして打ち切らせた。
なんというかそのあたりをぜんぶ白日に晒すのは、今ではないように思えたからだ。どちらにとっても。

昼下がりの学生街は穏やかで平和で、それを脅かすものなんてひとつもないかのような姿だった。機嫌よく歩くアルルのハーフアップのしっぽの先をぼんやりと目で追う。そのしっぽが止まって、空を見上げた。
「なんの鳴き声かと思った。鳥だね。なんの鳥かな」
「ぐぅ?」
視線を追って、シェゾも見上げる。遥か上空に、大きな翼を広げて滑るように浮かぶ鳥。
「ああ、ハヤブサだ。出がけに見たのと同じ個体かもしれん。縄張り意識の強い、群れない鳥だからな」
「ふうん。 って、あれ?」
見上げる二人と一匹の視線の先、もう1羽の鳥がやってきた。そちらもどうやらハヤブサだ。二羽のハヤブサは、そのまま互いの周りをくるくると、ダンスを踊るように舞っている。
「……群れてたね?」
「群れじゃないな、つがいだろ」
「カップルかぁ。仲良しっぽかったね」
「そうだな。群れない生き物は全般的につがいの絆が深い。どちらかが死ぬまで連れ添うし死んだあとも、」
「? どうしたの?」
突然言葉を切ったシェゾをアルルが見上げる。金色の瞳が見つめる先、黒衣の青年は真剣な眼差しで、じっとアルルを見つめた。
「……シェゾ?」
アルルの心臓が、走ってもいないのに早く脈打ちはじめた。頬にほんのり紅色がさす。
「アルル」
「は、はいっ」
「お前はヒヨコだ」
「はい?」
「ただのヒヨコであって、ハヤブサではない」
「はい????」
「よし、さっさと荷物ととのえてダンジョン行くぞ」
「え、あ、ちょっと待ってよ! 何!? なんなのさ!?」

選ばれる、とは。なんらかの役割を期待されるということだ。そこに強い反発、それどころか嫌悪感すら持ってきたシェゾ・ウィグィィである。自分自身の意志や希望を無視して、「選んだ」やつに役割を押し付けられる行為であると。
選ばれてよかったことなど記憶にない。いつでも厄介ごとを運んでくるばかりだった。ずっと選ぶだけの側でありたかった。

なのに、この少女に「選ばれた」と感じ、そこに優越すら覚えてしまった。いつもアルルは、自分がそうあろうと決めたことを壊してくる。
このままだともっと壊される、そんな予感がある。
(なのに、それも悪くないと思えるのは…… どうしてだろうな)

「そーいえばボク、大家さんに「カレシ連れ込むなら挨拶していってね」って言われてたんだった。挨拶、したほうがいいと思う?」
「……好きにすりゃいいんじゃねえの」
「え〜〜? どうしよっかな〜〜?」

ハヤブサは連れ立って飛び去った。ふたりもまた、その場をあとにした。