前回記事ではそもそものシェゾ・ウィグィィ、というかそれ以前の「アヤシイおにーさん」としての彼がどういう影響のものに作られて初期を育てられたのかを考えました。
今回は織田魔導での姿を考えようと思ったんですが米光アフターのコンパイルでの変化に思いを馳せただけで文字数けっこういってしまったのでそういうあれです。
初期シェゾの外観についてもうちょっと考えた
その後Xで「竹宮恵子や萩尾望都の時代の美青年の気配」「女性デザイナーだったから「甘いマスク」に説得力があったのでは」などの感想を見たりいただいたりして、なるほど、女性デザイナーの「理想」も詰まってたんだろうな〜〜と思ったり。
PC魔導のシェゾの服は銀英伝のラインハルト、顔立ちは星野架名作品もけっこうイメージ近いなと思ってますがどうでしょう。星野架名の代表作、緑野原学園シリーズは初出が1983年です。当時の女性陣がこのへんの作品を好んでいたのでは……という妄想。
↓ 表紙一覧みただけで「理解」してもらえると思う
コンパイル作品での迷走期の理由を考える
などと見出しに書きつつ私はこの時代の作品をほぼほぼ未プレイ、伝聞のみなのですが(超きゅ〜きょく大全は入手したし過去作品のプレイ動画もニコニコにわりとあがってるのでこれから追っていくのですが)、いわゆる織田魔導手前のキャラクター迷走期間について考えます。
前記事でも触れましたが、男性向けのエンタメにおいて、80年〜90年代の「美青年」というのは「いけすかないやつ」「当て馬」「平凡な主人公が打ち勝つための踏み台」的な扱われ方が多いです。悪役令嬢の男性版みたいなかんじ。(現代の文脈では「悪役令嬢」にはもっと違う印象が乗っかってしまってますが)いわゆるイジワルキャラ。
「めぞん一刻」の三鷹さん、「キャッ党忍伝てやんでえ」のスカシー、「セイバーマリオネットJ」の花形くんとか。見た目が美形とされるキャラは前述のような蹴落とされるべきライバル、三下的な扱いが多かったように思われます。序盤では主人公に劣等感を植え付け、終盤では主人公に「ザマァ」されるための装置。そういう関係性がない場合、単なる画面映えのための添え物。古い戦隊作品の「ブルー」ってそういうかんじ。カッコつけるのがお仕事。もしくは美形なのにみっともない三枚目の挙動をさせることで「オモシロ」にしたり溜飲を下げたりする存在。
とはいえこの時代、わたしもまだ物心がはっきりしてないのでけっこう印象で語ってる気はするんですが……
逆にコンパイルのデザイナー女性陣は「美形であればあるほどよい」「美形に理由はいらない」「美形とパーソナリティにはとくに因果関係がない」という考えだったように思われます。だって少女漫画のネームドキャラってそうだから。
そしてダークファンタジーをうちに秘め、タニス・リーを愛読する米光氏も、「異界の知識を極めようとする魔導師、かつおそらく「魔導師ラルバ」、つまり闇の魔導師は人外の美貌でむしろ当然」くらいのフラットさでいたのではないかな、と思っています。上級天使がモブ顔なわけあるかいな、くらいのあれで。
「魔導師ラルバ」についてはぼくらの聖地はてな堂での知識です。
米光氏のゲーム一本目で、このタイトルにもなっているラルバは「闇の魔導師」。おともに連れてるモンスターや倒され方が「あやしいおにーさん」と一致してるとのことで、「名前すらないプレイヤーキャラクターの女の子の障害物」として、自作キャラのカメオ出演程度の気持ちで置いたのではないかな、と妄想してます。
でも「当時」の男性スタッフは「美形はただ美形であるだけ」という扱いができなかったんじゃないかなあ。
「美形男にはなんらかのオモシロ的なキャラ付けをしないといけない」という義務感みたいなものがあったのでは。だって当時の作品群がみんなそうだったから。
んで、我らが聖地「はてな堂」には、彼がどういったキャラづけをされてきたのかがざっくりまとめられています。
後継スタッフたちは、こんな彼をどうにかして親しみやすいキャラクターにしようと試行錯誤していたように思う。
その結果、彼は「ちょっと口が悪いだけの普通の男の子」になったり、「ナルシストな勘違いナンパ野郎」になったり、「悪事を目論むがことごとく失敗する間抜けな小悪党」になったり、「己の覇道を模索するストイックまたはワイルドな戦士」になったり、「周囲に馬鹿にされるだけの哀れな道化」になったり、様々な姿で描かれることになった。
この結果 彼のファン層はぐっと拡大したのだが、彼自身の姿が茫としてつかみにくくなったのも確かである。
はてな堂 キャラクターデータ l より引用
・ナルシストキャラ(当時の「美形」に一番ありふれてたキャラ付け)
・言動が三枚目ベースで変顔多め(これもありふれてた美青年の扱い方)
このへん、あ〜〜あるあるって気がしますね。
良い意味でも悪い意味でも統括ディレクター的な存在がおらず、生みの親である米光氏が退職したあとのシェゾ・ウィグィィは、女性陣からは華やかな少女漫画文脈の容姿を、男性陣からは彼らの試行錯誤による人格をああでもないこうでもないとスイッチされながら、でもなんかピンとこねーなと思われながら(思ってたと思う)、やがていわゆる織田魔導で(一応の)集約をすることになります。
ということで次の記事こそ織田健司によって私物化……でなく再構築された、いわゆる織田魔導の話。そのつぎにセガシェの話しておわりの予定。